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DQIIIレビュー


ロトの伝説

 ロトシリーズの完結編。DQI〜DQIIIまでの3作品は、後の作品に対してロトシリーズと呼ばれている。これは、この3作品がアレフガルドの伝説的英雄「ロト」に端を発した物語となっているためであるが、本作品では、ついにその伝説の英雄ロトの全貌が明らかになる。とはいえ、それがわかるのは冒険終盤。物語はアレフガルド世界とは全く関係ない世界から始まる。

 当初の冒険の目的は未だ名前すら知られていない魔王を倒す、というモチベーションのあがりそうもないものではあったが、父親の足跡をたどるというもう一つの目的を忘れてはならないだろう。冒険を進めるにつれ、世界地図の構成がどこか見覚えのある地形のように感じ、新たな移動手段の獲得や各地の文化背景によりそれは確信へと繋がる。そう、この世界はプレイヤーのよく知っている世界の再構成だったのだ。 そして、悲願の魔王バラモスを倒した先には、死んだはずの父の消息、更には勇者ロトにまつわる衝撃的事実が待ちうけている。
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 本作の舞台と前作までの世界「アレフガルド」との関連とは? 実は、戦闘中の曲がヒントになっていた!? このヒントの意味は、最終ボスと対峙したときに一本の線に繋がる。
 バラモス討伐前後の関連性が薄く、冒険後半はおまけストーリーを消化したという感も否めないが、当時はその驚くべき結末に圧倒されたプレイヤーは多い。また、程よい自由度を保った中盤のストーリー展開と巧みな演出、絶妙なゲームバランス、そして転職システムを始めとする追加システムの評価も高く、DQシリーズで最も人気のある作品といっても過言ではない。それでは、DQIIIで新たに追加された要素の大まかな概要と、それに伴う問題点について簡単ではあるが論じてみよう。

バックアップシステムが生み出した新要素

 パスワード制からバックアップシステムへの移行により、本作は前作までのようなレベル毎のステータス固定から解放され、各種ステータスの複雑化を促した。この利点を最大限に活かすべくして誕生したシステムが、本作品の最重要要素、職業(転職)システム、任意パーティー制、そしてランダム成長によるキャラクターの差別化である。これらの長所はプレイヤーに幅広い選択権を与えたことにある。逆にそれを否定的に捉えるプレイヤーもいたようだが、大筋ではこれは各個人の好みの問題といっていいだろう。しかしながら、そういった好みの問題や細かな問題を排除したうえでも、キャラクターを成長させればさせるほど似たようなステータスになってしまう点や、呪文のコレクション以外に転職に利用価値を見出せない点といった、無視できないな問題も抱えていた。

 前者についてはパーティー編成の自由度の高いゲームをやり込む際の宿命ともいえるが、後者は後述する追加ステータスの設計上のミスとも考えられる。しかしながら、こういった問題はともかく、当時は転職を利用する事自体が面白く、キャラクターを成長させる事に一種の中毒性すら感じられた。その意味において、これらの新要素は成功したといえよう。
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 遊び人のみが悟りの書がなくても賢者に転職できた。一般人は遊び人に転職できなかったことも含めて、この点は非常に哲学的なものを感じる。

新ステータスの欠陥:転職の繰り返しにメリットはあるのか?

 本作では体力・賢さ・運の良さといった新ステータスが導入されたが、当時の一般プレイヤーはこれら新ステータス本来の意味を完全に把握していたとは言いがたく、この点に関してDQIIIはやや不親切なゲームだった。理解が得られたのは、せいぜい呪文習得LVと賢さの関係くらいであろう。現在では運の良さの意義や、体力・賢さとHP・MPの具体的な関係が知られるようになったが、後者の系として、なんとステータス補強アイテムである種(タネ)の一部の不要論が導かれたのである。 更には、転職の繰り返しがステータス強化の点で無意味であることが判明し、転職のメリットは呪文のコレクションのみという結論に達した。これでは前述の不親切の理由は、システム上の不備を指摘されないための処置とも邪推しかねない。しかしながら、これは転職に失敗したプレイヤーのリスクを抑える救済措置の一環と捉えることもでき、即座に断罪するわけにはいかないようだ。
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 最大HP・MPの成長に関してはスタミナの種と賢さの種は使わないほうが有利で、その存在意義が疑われることとなった。ただし、写真のような裏技的な使い道はある。しかしながら一度裏技の話を持ち出せば、ステータスの議論などはナンセンスといえよう。
 ステータス面に多少の疑問を残した本作ではあったが、実際のゲームバランスへの影響は少なかった。寧ろ転職失敗の救済措置のように、ゲームバランスを考慮した結果、システム面の不備には目をつむったとも考えられよう。

程よいゲームバランス:自動回復と防御攻撃

 前作では、ラストダンジョンを除けば、雑魚モンスターがイベント戦闘を担っていたが、本作から滅多に出会うことのできない固定モンスターが多数登場するようになり、彼らはストーリー面でも重要な役割を担うことになる。これらの強力モンスターを含む一部のモンスターには、毎ターンHPが自動的に回復するシステムが搭載された。これは、補助呪文(主にスカラ)を利用した、長期戦による固定モンスター撃破を阻止するために設けられたシステムである。そのため、全く歯が立たなかった相手が、少しレベルを上げただけで簡単に倒せてしまった…という状況が起こるようになった。大概のモンスターの場合、1ターン毎に100ポイント前後回復し、このシステムはレベル上げを好まないプレイヤー達を悩ます要因の一つとなるが、ゲームバランスを良い意味で調整したシステムといえる。

 それ以外の総合的なゲームバランスにおいても、本作は極めて優れていると感じることができる。この点に関して、防御攻撃というプログラム上の不備が指摘されることもあるが、結局のところパーティーの全体的な守備力が上がる程度。強力なモンスターを倒せることは迅速な経験値・Gの確保に繋がり、これは実際にプレイしてみると簡単すぎるというよりは有用という印象が強い。防御攻撃で互角に戦える相手に先制攻撃を受けると致命傷となるため、ほどよい緊張感も味わえるだろう。また、パーティの攻撃力が格段に上がるわけではないので、前述の自動回復システムの存在により、固定モンスターが低レベルで簡単に倒されることは少なく、更に最終ボスに至っては、防御を解除する「いてつく波動」を備えていた。これらのことを考慮すれば、防御攻撃がバランスの崩壊を招いたというのは言い過ぎといえよう。

 ストーリー構成、任意パーティー性の面白さ、ゲームバランスのどれを取っても合格であるパーフェクトな作品といえる本作にも、唯一大きな欠点があった。頼みの綱のバックアップシステムがあまりにも脆すぎた点である。

お気の毒ですが…バックアップシステムの導入

 バックアップシステムの導入により冒険再開時のプレイヤーの負担は軽くなったが、これには冒険の書が消えやすいという欠点もあった。現在では記録媒体の変化に伴い、こういうことは滅多に起こらなくなったが、当時のプレイヤーにとっては心配が絶えない死活問題。 筆者も、最初に購入したROMでは、バックアップ電池を取り替えるまでエンディングまで進むことができず、初クリアは次回作のDQIVに先を越される形となった。非常に悔しい思いをした作品である。

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 冒険の書が消えてしまう最大要因は、カセットに過度の衝撃を与えることにあった。したがって、カセットを本体に挿した状態でテレビの前に放置しておけば、まず消えることはない。ただし、この「お片づけをしない」という方法には教育上の問題がある。

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